霧ケ峰高原・霧ヶ峰・グライダー
霧ヶ峰はドイツローエンのワッサークッペの地形に酷似していることから、日本のグライダー発祥の地としても有名です。
グライダーは雪解けと共に目覚めます。新緑の息吹、あざやかなレンゲツツジや
ニッコウキスゲの黄色のジュウタン、感傷的なマツムシソウの薄紫、
アルプスが映える紅の空、、、刻々と変わる霧ヶ峰の風景に溶け込んで、
グライダーは自然と一体になる。
霧ヶ峰にはすばらしい上昇気流がある。見えない風に折り合いをつけながら
グライダーを操るうち、いつしか自分も自然の一部になる。
草に寝て 青空みれば 天と地と
我との他に 何ものも無し 作 藤原咲平
外観 建築面積612u 開館:5月〜11月 入館料:無料 |
内部 展示機:3機格納:10機 ビデオミニシアター |
日本のグライダーの父 藤原咲平先生の碑 |
ふれあい館展示機体 | ||
霧ヶ峰式はとKー14 | 霧ヶ峰式鷹(タカ)七型 | 霧ケ峰式鳶(とび) |
場所はこちらをクリック ニッコウキスゲの道
昭和11年第一回全日本グライダー大会記念メタル 古畑隆之氏(諏訪市)よりグライダー協会へ寄贈(実物大) |
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戦後中断していた活動は昭和27年に復興、その当時のプライマリー機とプラセコ機 |
大正15年 | 東大教授で後の中央気象台長の藤原咲平博士がヨーロッパから帰国。ドイツのワッサークッペなどでエンジンなしのグライダーが気流に乗って何時間も飛び続けるのを見て、特に気象学の見地から大きな興味を持った。ワッサークッペと故郷諏訪に近い霧ヶ峰の地形がよく似ていることが博士の脳裏に浮かんだことは想像するに及ばない。 | |
昭和7年11月10日 | 藤原咲平博士の提唱で、霧ヶ峰グライダー研究会が発足。当に人間が初めて空を飛ぶことができてから実に28年後であり、これが日本グライダーの発祥であった。会員はおおむね都会の大学生で、高雅な純スポーツとして発展することになった。 | |
総和8年7月 | 日本初の格納庫が霧ヶ峰に建設された。8月19日に3機が整備され、23日に初飛行、30日に開場式が行われた。 | |
昭和10年 | 世界的なグライダーパイロット、ドイツのウォルフ・ヒルトが上空から飛行機で霧ヶ峰を視察。「この高原で練習できることは幸せだ」と、絶賛した。 | |
昭和11年9月2日〜4日 | 第一回全日本グライダー大会が霧ヶ峰にて開催。参加機22機、観客2万人。13年には全日本学生滑空訓練大会を実施、以後年中行事となった。 | |
戦時中 | 戦争が苛烈になるに及んでこの純スポーツはそのまま軍事に使用され、ここで猛烈な指導者の訓練に移っていった。終戦までに養成した団体は12、滑空士は120名、研究試作する機体は実に20機に及んだ。 | |
終戦 | 敗戦により、数十機の機体とともに格納庫をはじめ、幾棟の宿舎、講堂の設備などグライダーに関する全てが破棄された。昭和27年に再開されるまで、グライダーにとっては冬の時代を迎えることになった。 | |
昭和27年7月 | 朝日新聞社、教育大有志により、復興再開の緒につき、再発足の日本学生航空連盟をはじめ、各団体の練習が再開。格納庫も諏訪市民の尽力で建てなおされた。28年頃の参加校は東大、東京工大、早稲田、慶応、法政、学習院、立教、青山、成城、東京教育大、関東学院、中央、東北、東北学院など。使用機体は、霧ヶ峰式鷹七型ソアラー、光式セコンダリー、霧ヶ峰式Kー14型プライマリー(JA10068)などであった。 | |
昭和30年5月 | 霧ヶ峰グライダー研究会が再発足。 | |
昭和43年5月 | 諏訪市グライダー協会設立。前年霧ヶ峰からひきあげた日本学生航空連盟から機体の寄贈を受けた。さらに、44年、45年には地元企業から中級、上級機が寄贈され、また協会員により中級機を購入、52年には西独製上級単座競技機を購入し、活発な活動が現在も続いている。 | |
平成9年12月 | 2代目格納庫が老朽化が進み、取り壊された跡地に格納の他、展示スペースや、シアターなどを備えたグライダーふれあい館が建設された。 | |
平成12年6月 | 霧ヶ峰開山祭にガル翼(カモメの羽の形)の貴重な西独製ビンテージ機MG−19が記念飛行を行った。 |
昭和8年7月 日本初のグライダー格納庫竣工 | 終戦により、格納庫は宿舎とともに破壊された | 昭和9年8月藤原博士(中央)と霧ケ峰グライダー研究会員 |
昭和10年5月諏訪連合軍人分会グライダー試乗会 | 大勢の手でゴム索を引いてまい上がった、はとK-14 | 昭和11年第一回全日本で上級機優勝の鵜飼照彦の碑 (昭和14年) |
昭和16年現在の霧ケ峰農場に建てられた第2滑空場。右手の格納庫は戦後霧ケ峰強清水に移築2代目の格納庫となる | 現在の霧ヶ峰滑空場 | 現在の風景、富士をバックに翼を休める |
参考資料:諏訪市体育連盟誌 諏訪市グライダー協会の項
グライダー滑空の最高章「スリーダイヤモンド章」獲得の水畑弘志氏 | ||
H14.11.25 長野日報記事抜粋 |
「スリーダイヤモンド章」は国際滑空微章(FAI)の最高章です。 諏訪市グライダー協会所属の水畑さんは平成14年5月25日に霧ヶ峰滑空場から離陸、北アルプス大町上空で高度8030mまで上昇、獲得高度6030mを記録し、ダイヤモンド章規定の5000m以上をクリアした。目的地距離章は平成8年に、距離章は平成12年にそれぞれダイヤモンド章を獲得していて、このたびの高度章を加えて、国内47人目の「スリーダイヤモンド章」に輝きました。特筆すべきはほとんどが海外での樹立が多い中、水畑さんは3部門とも霧ヶ峰滑空場からの離陸で国内では2人目、無動力では初めての快挙となりました。 水畑さんは「仲間のサポートなしにはこの記録はない。今後も飛び続けながら、少しでも他会員の協力に恩返ししていきたい。」と語っています。今後のますますのご活躍を期待するものであります。 |
グライダー関係者の大きな夢 GLIDER MUSEUM |
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グライダー発祥の地霧ヶ峰に日本で初のグライダーミュージアムを!を合言葉に設立実行委員会がスタートしました。 霧ヶ峰式鷹七型、霧ヶ峰式はとK−14 萩原式H−22B、23B、23C MG−19型、Go3ミニモア型、 ゴヴィエル3型クラニッヒV型、 チャールス・ファウベル、SHK−1型 、三田V型ブラニクL−13型、 霧ヶ峰式やまどり、霧ヶ峰式鳶T型、 頓所式MY WINGU など貴重な機体がミュージアムの完成を待っています。展示予定は25〜30機。 |
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